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大丁の考える野外露出
野外露出について考えAVにしていくブログ。※大丁は、株式会社トミーウォーカーのPBWでマスター業務を行っていますが、マスター契約時の規約により、ここでゲーム内容に関する発言をすることはありません。
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この辺りで、本題に復帰
 前回の記事や前々回のコメントは、ビリーさまからの問い、『バレイキは実在するか?』を受けてのものでした。
 なので、本題を横に置いて、バレイキひいては露出の実在に関する話をさせていただいたのです。
 いずれは踏み込むテーマでしたから、誤解なく伝えるのはまだ難しいと思いつつも、結論だけお話しました。
 ですから、ビリーさまが、足りない情報のなかで真剣に考察してくださったのは申し訳なかったですし、嬉しくもありました。
 結論といっても、『バレイキは実在するか?』という問いに対してのみのことで、本論考自体はまだまだその先も続きます。
 続くその先のお話を、ちょい出ししたりしていましたので、やはり私の話は分かりにくくなっていました。
 特に分りにくい部分は、私がまだ、実制作の方法や方針については話をしていない、ということかと思います。
 露出の実在についての話をしたところだけです。
 露出をどう考えているのか、考えていることをどのように作品にするか、とろうとしている方法そのものはどんなものか、まだ書いてはいません。
 にもかかわらず、書いてるように読めますよね。どうも、すみません。

 たとえば、今回いただいたこの部分。

>ファンタジーの例でスーパーマンやトトロを出して視聴者との
>繋がりを主張しましたが、考え方が私と違うようです。
>>怪力の宇宙人はいませんが、
>>人を助ける職業についている人はいます。
>>不思議な生き物はいませんが、
>>森や自然を守る仕事についている人はいます。
>>露出は実在しなくとも、露出したい、露出を見たい、
>>という気持ちを表したものは、間違いなく実在します。
>>さきほど、動機の証明は本人にもできないような書き方
>>をしましたが、根っこの部分に近付くことはできるはずです。
>これでは根っこの部分に近づいていないと思います。
>「根っこの部分は分からないから別の物で代用しちゃおう」という
>風に感じました。

 元は、ビリーさまがふたつ前のコメントでしていた次の部分を受けてのものです。

>大丁さんがめざしているのはリアルな露出作品ではなくて
>ファンタジー作品なのでしょうか?
>スーパーマンとかトトロのように実在しない物を
>描こうとしているのですか?
>ファンタジーだとしたら何でも作れますが、
>上手く視聴者に伝えないと、消化不良の気持ち悪~い作品に
>なってしまいます。
>空想の世界、架空の主人公であったとしても、根っこの部分では
>視聴者とどこかしら繋がっていて欲しいです。

 私は上記のビリーさまの言葉から、実在しない物の例として、スーパーマンとトトロを引き合いに出されたと思いました。
 そこで、スーパーマンとトトロは実在しますと、返したのです。

>怪力の宇宙人はいませんが、
>人を助ける職業についている人はいます。
>不思議な生き物はいませんが、
>森や自然を守る仕事についている人はいます。

 私がこのように書いたのは、スーパーマンもトトロも、人間で代用して作品を描ける、という意味ではないのです。
 こんな意味です。
 おそらくスーパーマンのキャラクター構築の際には、人を助ける職業についている人から、その尊さを学んで活かしているであろう。
 スーパーマンの物語を見た人が、人を助ける尊さを学び、自分の人生に活かし、人を助ける職業につくことはあるだろう。
 スーパーマンはフィクションだけれども、フィクションの前後にはノンフィクションが存在する。
 スーパーマンの全部が実在しないわけではない。
 実在しない物の例としては、ふさわしくないのではないだろうか。
 実際、ビリーさまも、言い直している。

>空想の世界、架空の主人公であったとしても、根っこの部分では
>視聴者とどこかしら繋がっていて欲しいです。

 私は、この『根っこ』を、ビリーさまが言った場合の、フィクションの前後のノンフィクションのことだとと解釈し、逆にスーパーマン、トトロの例をつかわせてもらった、というわけです。
 本来なら、同意できますくらいの意味なのに、

>まさに、今現在の目指すところです。

 なんて言い方をしたので、

>「根っこの部分は分からないから別の物で代用しちゃおう」という

 ふうな制作方針だと、ビリーさまに思われてしまったのだと思います。
 この段階では、実在についてのみの話なので、制作方針については語っていません。解りにくくてすみません。

 したがって、今回コメントの次の部分。
>>他の方々が持っている露出観の、ひと通りやふた通りどころではない
>>多くの露出観を、自分の中にとりこむことで、繋がる、広がる、
>>生きた露出観にしていく。
>いろんな価値観、いろんなエピソードを大丁さんが取り込むのは
>いいのですが、それを一人のヒロインに詰め込んでも 生きた露出観
>にはなりません。
>不思議な人物になるだけです。

 露出観を広げることと、いろんな価値観いろんなエピソードを一人のヒロインに詰め込むことは、関連がありません。

 フィクションとノンフィクションの話は、別に私が考えたのではなくて、創作に関してはたびたびでてくる話題です。
 結局のところ、『バレイキの実在』を問うことそのものは、本論考では本筋ではないのです。
 本筋ではないこと自体は、今回のビリーさまのコメントで、ビリーさまも同じ考えであると私は思いました。
 バレイキ実在のご質問は、実際には実在するかどうかではなく、共感できなかった、ということがおっしゃりたかったのですね。
 そして、共感できなかったのは、大丁が共感を必要だと考えていないからだ、というわけですね。
 ただ、私も最初に頂いた感想で、バレイキに共感できない旨を了解していましたので、思い至りませんでした。

>私の言葉で言うならば

 の部分から、

>そんな作品が絶対つくれるはずです!

 までは、ビリーさまの作家論ですね。
 大部分は同意できます。
 同意できかねる部分もあり、考えを変えてほしいと要望されても、これはできません。
 どの部分が同意で、どの部分がそうでないかは、今後の記事で明らかにしていきます。

 最後の部分は、明らかにビリーさまの誤読です。

>あとひとつ
>>同時に、露出は性的興奮を得ようとして自らする行為だけが
>>そう呼ばれるべきだとしていました
>これはちょっと違うと思います。

 「かつてはそう思っていたが、今は違う、なぜなら露出の動機はもっとたくさんあるからだ」、というのが記事の主旨なのですから、ちょっとどころか全然違うと思っています。

 ただし、目的にはかなっています。
 ビリーさまがあげられていた、「悪い事をしているドキドキ感」「冒険心」「チャレンジ精神」「達成感」「日常では味わえないスリル」といった動機があるでしょう、というご意見が欲しかったのですから。

 では、本筋に戻って、露出の実像を、動機から確認する続きをしたいと思います。
 ビリーさま、もしよろしければ、「露出の実像」の記事に戻っていただいて、そこにあげられた動機に、ご意見やご感想をいただけたらと思います。

 まったく共感できない、なんてものがあれば、ぜひご指摘を。ありがたいです。
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ちょっと先まわりします。
>ビリーさま

 コメントありがとうございます。
 後の記事と重複が出るかもしれませんが、このままビリーさまのご質問に直接お答えするのも良さそうです。前回記事へのコメントからです。

>>露出は実在しない。
>>ゆえに、バレイキは実在しない。

>えーーー! 衝撃発言www

 ですよねぇ。
 仮にも露出の匠が、露出は実在しないなんて言い出したらアカン気もします。

 まぁ、実在しないことを証明することは、不可能に近いです。(いわゆる、悪魔の証明)
 なので、この場合の実在しないとは、とりあえず観察する手立てがないので無いとする、という意味でつかっています。

 先日いただいた、露出レベルの話からしますと、私とビリーさまの露出観ではそれほど大きく違わないように感じましたけれども、そっくり一緒なわけでもなさそうです。

>「皆が共有できる露出と言うもの」は無いに等しい
>という事なのでしょうか?

 おおむねの筋道は、そのようになります。

 例えば、私がどこかの道を歩いていて、裸の人が現れたからといって、露出の証拠をつかんだことにはなりません。
 字義としては裸を露出しているので露出ですが、裸の人の動機によって、露出とする方 と、そうでない方がいることでしょう。
 本人が自分の動機について理解しているとは限りませんし、その動機を妥当なものとは判断しない方もいるかもしれません。

 とりあえず、客観的に観察ができないので、実在が証明できず、どちらかと言えば実在しないに近い。

>証明しようとしていた とはどういうことですか?

 当時は、実在(という言い方はしてませんでしたけれども)を証明するには、賛成票を集めればいいと考えていました。
 同時に、露出は性的興奮を得ようとして自らする行為だけがそう呼ばれるべきだとしていました。

 私の勝算は、『卒露』に続いて類似品を制作する人やメーカーが現れて、作品群を形成してもらうことだったのです。

 結果は、ご存じのとおり。
 『卒露』そのものは成功できて、皆さまに楽しんでもらえ、私自身もヨカッタのです。
 ただ、類似品は現れませんでした。件の証明はなされませんでした。

>空想の世界、架空の主人公であったとしても、根っこの部分では
>視聴者とどこかしら繋がっていて欲しいです。

 まさに、今現在の目指すところです。
 それこそ、実在しないとおっしゃられたスーパーマンもトトロも、実在する部分は持っているのです。
 怪力の宇宙人はいませんが、人を助ける職業についている人はいます。
 不思議な生き物はいませんが、森や自然を守る仕事についている人はいます。

 露出は実在しなくとも、露出したい、露出を見たい、という気持ちを表したものは、間違いなく実在します。
 さきほど、動機の証明は本人にもできないような書き方をしましたが、根っこの部分に近付くことはできるはずです。

 その方法で、いま考えているのが、これ。

>>私は、私自身の露出観を広げていくことで、
>>AVをつくっていきたいです

 他の方々が持っている露出観の、ひと通りやふた通りどころではない多くの露出観を、自分の中にとりこむことで、繋がる、広がる、生きた露出観にしていく。

 そういう意味で、もういちど最初の問いにもどると、バレイキにも実在する部分ならあります。
 アクシデントから人に見つかってしまったときに、逃げるよりも感じることを優先してしまった話。
 性器への直接の刺激なしに絶頂してしまった話。
 自分のことを露出狂だと思っていたのに、実際に裸を見られたら気持ちよくなかった話。けれども、何かを求めて露出を繰り返してしまう話。
 裸を見られるよりも、裸でいるのを見られることのほうが意識がむくという話。
 と、いった体験談などです。
 バレイキという言葉は作りましたが、全部が絵空事のつもりはなく、当てはまる人もいるだろう、ということです。
 しかし、実在するとは、言い難い。証明も難しいと思います。

>私の中で、バレイキする人を想像した場合、
>相当露出の経験があり、人に見られる事を快感と自覚している人、
>人の視線を最速で自身の快感に変換出来る能力を持っている人、
>ではないかと思っています。

 ビリーさまのこの見解は外れていたと言えます。外れていたというより、露出観のズレです。

 全部の露出を網羅して、いっこいっこ名前を付ける段階は、まだ先です。
 やってみて、見てみないと、私にすら、どんなものかはわかりません。
 『バレイキ』と『セックスに隠れた露出』は、濃度で表現するなら『薄い』という判断です。今現在、私のところにきているご意見ではそうなります。
露出の実像
 バレイキは実在するのか。

 待ち望んでいた言葉です。
 そもそも「露出」は実態をもっているのか、というのが、『卒露』をつくるきっかけでもありました。

 いやいや、バレイキの実在を問うているのであって、露出は実在するでしょう、だって露出なら数々の証言や作品があるじゃないですか。
 と、私だって思います。
 私の考えを述べるには、まだまだ説明が足りません。なので、長く続くというわけ。

 言葉というのは、本当に難しいものです。
 露出をする人のことを、露出狂と呼ぶのは間違いだとは思います。
 裸になることを露出と呼ぶのも、厳密には違うと思います。

 ただ、それでは話が進みませんので、露出の定義に時間を割くのはやめて、どのみちこのブログに書かれているのは、それこそ露出についてのお話です。
 『露出』なんてカッコをつけて書くのも読みづらいですし、とりあえず曖昧なまま露出という言葉を使います。

 露出行動をする本人に起こる性的興奮は、一様ではないと考えています。
 まず、裸を他者に見せること自体からくる性的興奮。

 そして、羞恥に基づいた性的興奮。
 露出によって羞恥がうまれ、羞恥が性的興奮になる被虐、マゾヒズムの一種。
 露出によって、他者に羞恥をうみだし、羞恥させる行為が性的興奮になる加虐、サディズムの一種。

 ハレンチ=破廉恥とは、恥ずかしい気持ちがないという意味です、本来は。恥知らずの字義どおり。
 破廉恥と扱われる恥。
 恥を恥と思っていないと、他人に思われていると思うことからくる恥もあるでしょう。
 もっともハレンチには、恥を恥と知りつつ気に留めない態度であると、他者が指摘して使う意味合いが強いので、本稿のテーマからは外れますね。本人が本当に、恥を恥と知りつつ気に留めていないのかは無関係ですから。

 羞恥と無関係な、本当に恥を恥と思っていない露出もありえるでしょう。

 裸になるのがセックスの準備行動であることからくる性的興奮。
 他者に性的興奮を与えることで、自身にも得られる性的興奮。
 自身の裸を性的興奮を引き起こすものと捉えているなら、実際に相手が興奮していなくとも、性的興奮を得られるでしょう。
 似て非なるものとして、性的興奮はセックスから得ていて、結果的に露出している行動。

 さらには、性的興奮とは無関係に露出行動する場合もあると考えます。
 見せることを目的とする。
 他者に性的興奮を与えはしますが、自身の性的興奮は求めない。
 裸は美にも通じますから、他者に性的興奮ではなく、美の鑑賞を提供する。
 反対に、恥ずかしい姿は、嘲笑の対象で、他者に性的ではない楽しみ、笑いを与える場合。
 転じて笑いを得るための努力が、今度は尊敬になってしまうこともあります。

 見せることを目的としない、露出。
 他者に見せるけれども、見せているのは着飾らない態度。
 あるいは、裸を愛好し、風呂・着替え以外でも裸でいたい。もっぱら、私的な場所で行い、どちらかと言うと他者には見せないようにする。
 これも、自分の家なら他者がいても気に留めない場合もあり。公的な場所でも気に留めない場合もあります。
 裸でいるのが好きなのと、裸になっているのが好きなのとの境界はあいまいで、ナチュラリストとヌーディストがごっちゃになりがちです。
 ここに、服が嫌い、が加わると、さらにごっちゃになります。着るのが嫌いな人と、着ているのが嫌いな人でも違います。

 書き漏れがありそうですが、いったんこのへんで。

 これらは、つまり露出の動機なわけです。
 いくつかの動機は相互に矛盾しており、『卒露』をつくる、というかそれ以前にAV制作することになった段階では、上記のようなところまでは考えていて、その中からどれとどれが露出の実態か、証明しようとしていました。

 去年の夏ぐらいまでは、まだそんな企画を多くたてていましたから、先日の記事のように、露出かそうでないかにこだわっていたのです。
 お読みいただいた方の中にも、これは露出だけど、これは露出ではない、とお考えになった方もいらっしゃると思います。
 それで、いいのです。
 ひとり、ひとりの感じ方こそを大切にする姿勢でいくことにした、というお話なのです。

 なぜなら、私自身は露出の動機をもっていません。
 あるのは露出観です。とある誰かのとある露出行為が、それを知った別の誰かに性的興奮を与えることは事実だろうとする露出観です。

 大丁は露出をわかっている、とありがたくて嬉しい言葉をかけていただけることもあります。上手いこと、とある露出行為が私と重なったのだと思います。
 そうした、露出を露出と呼ぶ人の意識の中では、全く違う性癖が区別されずに同居している可能性があります。
 かと思えば、矛盾した動機を併せ持って露出行動をする人も、少なくないでしょう。
 私は、私自身の露出観を広げていくことで、AVをつくっていきたいです。
 『バレイキ女子高生』は、その最初です。なので、本当は万人受けからは遠ざかっているんですね。

 でも、続けた先にたどりつける気もしているのです。
露出の傾向
 今回はひとつ前の記事でビリーさまにいただいたコメントへのお返事という形で続きを書きます。

>是非 ながーく続けていきましょう!
 ペースはゆっくりかもしれませんが、よろしくおつきあいくださいませ。

>対置ではなく融合
 では、ここまでは同意見ということで。

>SEXシーンを入れないといけない。
>裸の映像は長めに。
>男の映りこみは少なめに。
>ストーリーは適当でいいからとにかくエロい映像を多めに。
 これは、それぞれ別個に検討したいところです。
 ただ、おおよそ傾向としてあるのは同意ですね。
 なので……、

>エロい映像を不必要に見せすぎると、
>逆に冷めてしまうケースもあるはずです。
 あると思います。

 さて、では件の、有村さんの部室でのスカート落としです。
 結論から言うと、問題になっている悪しき習慣とは無関係です。

 ここからは、よっつの話ができます。
 ひとつ目は、ビリーさまに、できれば別のシーンで、同様に悪しき習慣を感じたシーンをあげていただきたいです。
 そこを例として、話を続けたいです。

 ふたつ目は、(あえて言っちゃいますが)スカートはアクシデントです。
 カットがかかって撮りなおすところです。本当は。
 一瞬、そうなる動きもありました。
 ですが、私は続けさせようと監督を見て、監督もほぼ同時に身振りで指示して、カットはかかりませんでした。
 スカートは落ちたままで、後のシーンも継続して撮影されました。
 その理由をやりとりはしていません。
 監督とのアイコンタクト以外には、有村さんが落したままでもいいかとたずねられて、ふたりして「いい」と答えた時だけです。
 今考えれば、意見の確認をしても良かったのですが、なぜか言いたいことが伝わりあっているように思っていました。

 みっつ目は、その言いたいことです。
 彼女ならば、スカートを落としても、慌てて拾ったり、しゃがみこんだりはしないだろう、ということです。
 ビリーさまのおっしゃるような行動も、本作以外ならありえますが、彼女には当てはまりません。
 とっさの行動でこそ、性的な快楽に身を寄せてしまうような人なので、バレイキするのです。
 確証もないうちから「露出がバレた」と受け取る人なのです。
 ドアが開いた時点で、もうバレイキが始まっており、まさに本能的に「露出がバレた」ことを確認するために、相手を見ているのです。
 「裸を見られること」よりも、「裸でいるのを見られること」のほうが、優先順位が上なのです。
 おっしゃるような行動をとれば、「裸を見られること」は、回復されます。
 「裸でいるのを見られること」は、もはや回復のしようがありません。
 こうしたバレイキの仕組みは、女優さん方に説明していましたし(というか、それが仕事ですし)、もともと、スカートを履いた上半身裸であっても、手で胸を隠したりしない、とリハーサルで指示したような気もしますし、有村さんが撮影中のアクシデントにもかかわらず演技を続けたのは、その辺りを酌んでのことだったと思います。確認はしていませんが。

 よっつ目のお話は、まさに前の記事で言いたかったことです。
 ビリーさまの露出観の中に、バレイキは含まれていないことが、明らかになったのです。
 言うまでもなく、私の中では上位にある概念です。
 記事内で、露出を探していたと表現しているのはこうしたケースに対する行動のことです。
 たとえばバレイキ(まだ名付けていませんが)に該当する先行の露出モノがあれば、「ほら、コレですよ」と露出愛好者や制作会社に証拠として提示し、彼らの露出観の中に加えてもらおうと考えていたのです。
 交流としては良い方法なのですが、ひとまず今は止めています。

 さて、ビリーさまがたびたび言及される、露出のレベルですとか、上級者や初心者というのは、確固たる序列があるものなのでしょうか。
 ビリーさまにとっては自明の理かもしれず、こんな捉え方自体が失礼にあたるとは思いますが、お教えいただけたらな、と希望します。
 ビリーさまに限らず、よく使われる表現ですよね。
 例えば、ベンジーさまが、レベルや上級初級に類することを言われたときには、ある露出っ子の目標設定を確認したうえで、到達までの段階や、近隣の目標で前後にいる露出っ子への評価を指していると思われます。

 香奈美さまが、ちょっと前に言われましたよね。高校のときのほうが、いろいろやれた、って。
この、やれてる度みたいな表し方もありますよね。

 私は、『卒露』の時からそうなのですが、やる本人に合った露出の傾向からの角度のズレ、みたいな捉え方をよくするみたいです。
 露出の傾向は、ひとりの人物がひとつなのではなく、複数抱えているものだとも思います。
 これは、3作続けて見受けられるので、最近になって自覚した部分なんですよ。

 ベンジーさまが、「なんでもいいから命令ください」ってメールに対して、最初にノーパン命令を出すのは、諸々合わせて考えれば妥当です。
 だからと言って私は、ノーパンが初心者だけのもので、すべての露出の中でレベルが低く、上級向けではない、という評価の仕方はしません。ベンジーさまがどう思っているかは、聞いていませんけれども。
 本人に合う露出から、ノーパンでは角度がズレている、あるいはズレてきたから、別の傾向に移る、という考えかたです。
 ズレからの精度にレベルという言葉を使えるかもしれませんが、それこそ誤解を招きやすく、ズレた使い方とも感じます。


 現在は、露出という言葉にはこだわらず、むしろ傾向のほうにこそ、重点を置いています。
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